よもやま話β版

よもやま話を書きます。内容はぺらぺら。自由に書く。

映画で思い知る子供の頃と大人の今の獲得情報量の違い

風邪を引いてしまい、超楽しみにしていた後輩との飲み会をキャンセルして家に帰って寝込み始めた頃合いに、テレビをつけると「紅の豚」が金曜ロードショーでやっていた。 体調の悪さとテレビの内容からにわかに幼稚園〜小学校低学年の時代を思い出した。 その時代は頻繁にひどい風邪を引いて、昼間は家で寝こんでいるということも多かった。 ベッドの側には小さなテレビとビデオデッキがあって、父が趣味を兼ねて撮り溜めたビデオテープが山ほど積まれていた。 小さい自分のお気に入りはジブリ映画だった*1。トトロとかナウシカとか魔女の宅急便とかをそれこそ飽きるほど見た。もちろん紅の豚も。
だからストーリー全編は一通り頭に入っている。
そのはずなのだけど、いまになって改めて腰を据えて視聴すると、細かい描写とかセリフから得られる情報量が天と地ほども違うことに驚いてしまう。見ている映像はもちろん当時と寸分違わないはずなのに...。

勘違いしていたこと、いまさら気づいたこと

1930年代くらいのイタリア

銀行員に愛国債券をセールスされるシーン、「札束が紙くず並みの値打ちしかない」、「ファシストの秘密警察」、「アドリア海/ミラノ」といったキーワードから舞台がファシスト党の時代のイタリアだということが示唆されている。
が、子供時代はそういうのをよく分からないので、たぶん 海外のちょっと昔の話なんだな? くらいの認識だった気がする。

女性ばかりで飛行艇をこしらえること

フィオが設計すると言い出したときに難色を示すポルコ、ぞろぞろ工房に入ってくる女性たちに面食らっていたり、「女の手を借りて戦闘艇を作ることをお許しください」というお祈りの文句から女性が飛行艇を作るというのはイレギュラーなことである、そして男たちが出稼ぎで居ないからだという説明がされているが、小さい頃は全然そういうことは疑問に思ったりとかしていなかった。テキパキ食事の支度がされたり飛行艇の部品を作っていくシーンはすごく好きで覚えている。だが、そもそもそれらが女性たちばかりでこなす仕事にしてはイメージが真逆という示唆だと思う。おそらく戦争のにおいが強いとか、野蛮(? めっちゃロマンがあって良いな〜と個人的には思うところだが、世間一般的にはそんな感じなのだろうか)とか、エンジニアリングの要素が強いとか。昔はそういうことをまっっったく気づいて居なかったけど、そういう空気感を読み取れるようになってしまったんだなぁと感じた。

カーチスは空賊の用心棒

てっきりカーチスは空賊の一味だと信じ込んでいた。久々に視聴してちょっと混乱した。
たしかにただの仲間にしては浮いているし青いし雰囲気が違いすぎるし行動がよく分からない。 用心棒という単語を昔は知らなかったんだと思う。 あと今更ながら、むちゃくちゃ惚れっぽいなこの人...なんて感想を抱いた。

フェラーリンさん

映画館でポルコの隣に座って不機嫌そうな感じだった人と、空軍から逃げる方法を教えてくれた人と、最後にジーナに馬鹿騒ぎをやめさせるように連絡した人が全部同じ人だったということは小さい頃は本当に気づかなかった。 それどころか、覚えているのは「映画館でポルコの隣に座って不機嫌そうな感じだった人」で、逃げる方法を教えてくれたシーンは「よく分からないけど手信号で豚に真珠と言い残していった謎の人」で、「ジーナは通信を自分で傍受して危機を察知した」ものと思っていた。小さい頃の自分まじで映画全然見てないじゃん...だめやん...。フェラーリンさんごめんなさい。

最後のシーンはかなり未来

「あれからいくつかの動乱があって」と最後にフィオが静かに語り、その後のホテル・アドリアーノの様子を眺めて映画は終わる。 動乱というのはおそらく戦争とかのことを指しているし、集まっている面々の姿をみると結構老けている。これ10~20年くらい経っているんじゃないだろうか...。しかもフィオの会社のピッコロ社の名前のついた飛行機がよく見たらめっちゃ進化したデザインに変わっている。細かい映像のディテールに小さい頃は気づけなかったのか、病気の時ばかりに見ていたもんで最後は寝落ちしていたかもしれない。改めて気づいた。

その他、会話の端々細かく挟まれる皮肉とか絵に出てこない情報

なんか海外ドラマとかでありそうな皮肉とかが入ってくるけど、子供の頃は基本的によく聞き流していたと思う。 ポルコが怠惰な豚である罪とか猥褻物陳列罪とかひどい余罪をふんだんに付けられていたりとか、会話の中の面白い要素はすべて受け取り損ねていたように思う。

こどものころ、分かった気になっていたけど、まず語彙と経験が足りなかった

昔ベットの中でテレビ画面をじっと見ているしかなかったときは、この映画の隅々まで楽しみ尽くしていたような気がしていたけど、世界は狭かった。あのころ、母にイギリスはどこにあるか知っているかと聞かれて、「イギリスは大国だからきっとこの辺」とアフリカ大陸を指差していたらしい。本当に語彙も経験も何もかも不足していた。 いまの自分も、5年後10年後の自分からみたら、語彙も経験も何もかも不足している状態なのかもしれない。

初心を忘れずがんばらなきゃなぁと思いつつ、いまは風邪をとっとと治したい。

*1:ただし火垂るの墓を除く。無茶苦茶怖かったのを覚えている、そして唯一自主的に見た記憶が一度もない。