よもやま話β版

よもやま話を書きます。内容はぺらぺら。自由に書く。

都会と地方の可処分時間

自分は生まれ育ちは石川県で、しばらく北陸で社会人生活をしたのち、東京に出てきた。

北陸の地は生活道路として国道8号線が使われており、車と生活は切っても切れない関係がある。もちろん多くの人が通勤に車を使っている。運転手は当然、運転に集中する必要がある。そのため通勤時間=運転時間となる。

一方東京では、公共交通機関として電車網が発達している。どこへ行くにも電車に乗って最寄駅で降り、しばらく歩けば目的地へ到着できる。駅と駅の間は下手すると歩いてたどり着けるくらい近い場合もある。とにかく地方ではこんな間隔で駅は配置されていない。すごい。そして電車に乗った利用者は、降りる駅に着くまでは暇である。そのため通勤時間=自由時間(可処分時間)となる。

2年ほど勤務地まではてくてく歩く生活をしていた。そそっかしい自分にとって歩きスマホはかなり危険行為なので、徒歩通勤は運転通勤と感覚的にはほぼ一緒だった。

しかし、引っ越して電車利用が始まった。電車に乗っている間は、信号に注意する必要も、飛び出しそうな子供やでかい道路を大胆に横断する高齢者に気を使う必要もない。完全に自由。そして今、殆どの人がそれぞれの手に便利すぎる個人端末を持っている。

それで小説を読むをよし、漫画を読むもよし、ゲームするもよし、勉強するもよし、友達に連絡とるもよし、痴話喧嘩するもよし...。

ふと電車の中で周囲を見たときに、みんな揃って小さな画面を食い入るように見つめている姿が並んでいるので、いつもびっくりしてしまう。そして自分もいつもその一人になっている。

地方に比べて都会では、移動の時間を自由に使うことができる。可処分時間の確保という意味合いでは、都会住まいの方にアドバンテージがある。しかしその可処分時間をどう使うのが一番良いのかはまだ自分もよく分からない。